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(以下の文章は2004年に芦屋市広報の子どもの日特集に
載せられたものの原文です。)
スクールカウンセラーからみた家族関係

公立小中学校にスクールカウンセラー派遣事業が始まって、今年度で10年目、私自身がカウンセラーとして学校に勤務するようになって、8年目になります。教育の世界に別職種の人間が正式に入ることの意義は大きく、「開かれた学校」という試みの一つが踏み出されたと言えるでしょう。

T 相談の種々相
 相談に来られる中で最も多いのが、「学校に行きたいけど行けない」、「教室に入りにくい」という不登校傾向のものです。相談件数のうち保護者は六割強、生徒は半数がそうでした。
 乱暴などをする反社会的な生徒は、相談件数は比較的少なかったのですが、一人そういう生徒が居ると、ずっと気に留まり、大きな存在として意識されます。
 友人関係で、仲間外れにされたとか、いじめられたとかもよくある相談です。また、親子関係がうまくいかないという相談も、保護者の方に多くあります。
 こうした表面に現れた問題の背景に、様々なものが隠れていることがあります。
  例えば、中学生あたりで不登校や反社会的な行動をする生徒の中には、注意集中がうまくいかなかったり、じっとしていられなかったりする注意欠陥多動の傾向が小さい頃からあった生徒も、時に居ます。また、児童虐待が、反社会的問題や不登校傾向の背景にあることもありました。児童虐待の場合、生徒や学校だけを問題にし、虐待であるとは全く思わない、むしろ否認する親が結構おられます。しかし、中には「やめようと思うけど、どうしても虐待してしまう」という相談もありました。
  教室での不適応行動の背景には、他の能力は問題ないのに書字、読字、計算能力だけ特に劣るという学習の問題、それに自閉的な傾向が、隠れていたりしました。

U 家族関係
  さて、こうした相談を受けた中で、その家族関係について気づいたことを述べます。
  不登校傾向の子どものいるご家庭では、お父さんが家庭や子どもに気持ちが向かない、あるいは家族の心の機微を理解することが苦手ということが多いようでした。お母さんの方は、真面目にその問題に取り組む方が多かったという印象です。俗に言うお母さんの過保護、過干渉ということは、そういう場合も時にある、という程度でした。その夫婦関係は、良い関係だと感じられる場合もありましたが、関係が希薄だと思えることは比較的多かったようです。夫婦間がそういう状態であることが、子どもに何らかの影を落としていると感じられることは多いのですが、大きな要因であるかどうか判然としないことも多かったと思います。むしろ、印象深かったことは、家族関係の具体的な大きな変動、すなわち再婚、離婚、祖父母との同居、別居、それに転校が、不登校のきっかけになったり、不登校から立ち直るきっかけになったりすることがしばしば見られたことです。勿論、そうした事が、不登校と何ら関係ない場合が多いわけですが、親が決断してそうした人生の転機を迎える時には、十分に子どもに配慮する必要があると言えます。(不登校傾向には、日本文化、年齢、学校、自然災害など様々な要因が関係します。)
  家族関係を見ていてもう一つ気づいたことは、「力」の文化が支配しているご家庭が時にあり、それが子どもの問題行動へと結びついていることがあるということでした。家庭で「力」によって支配されている子どもは、学校では自分が友人を支配しようとして反社会的な行動に出たり、その反対に学校でも友人に支配される気弱な子どもとなったりするようです。「力」によって子どもが支配されている典型例が、児童虐待が背景にある場合です。
  次に、注意欠陥多動や自閉的傾向のある子どもが居るご家庭について感じることは、その子どものもっている特徴を理解しそれに合わせて養育行動をとることがなかなか難しいということです。常識的な養育方法ではうまくいかない場合が多く、うまくいかない事をお母さんが過度に責任を感じてよけいに向きになり、親子関係も本人の状態もこじれさせることになり易いようです。

V 子どもにとって必要なこと
  相談を受ける中で痛切に感じることは、どんな子どもでも、家族や身近な人の受け入れや対応がうまくかみ合った場合には、大きな助けになり得るということです。
  今挙げた注意欠陥多動傾向の子どもの、特に多動傾向は、思春期入り口辺りの年齢になれば自然に治まることも多いようです。今すぐしつけなければと常識的に叱って育てると、自尊心の低い子どもになってしまいます。多動傾向に対しては、むしろ動くことが許される状況を作ってやるとうまくいき易いと考えられます。そうしてうまく育つと、独創性のある有能な社会人になる場合も多いと言われています。つまり、子どもの特徴を理解してそれに応じて養育行動を工夫すれば、うまくいく可能性があるということです。
  当然のことですが、どんな子でも、活動性の多少があり、生まれ持った性格があり、得意なことがあり、その子独特の興味のあり方があり、知的活動、情動活動のあり方(まとめて「その子なり」)があります。それを理解し、そこから出発し、良いところを生かす方向で、親が「自分なりの育て方」を見つけだしていくのが、うまくいく子育てだと思います。その点は、どんな子育てでも同じことで、子育ての一つの基本と思われます。
  「その子なり」を理解し生かす、ということと関連して、子育てにおいてもう一つの基本的なことは、子どもが「自分は、家族に受け入れられているのだ、認められているのだ、好かれているのだ」という「承認(一体)感」を日々蓄積していくことです。親の側から言えば、子どもの求めに応じて、子どもを「自然な愛情で包む」ことです。笑顔で接し、「抱っこして」と言われたら、気持ちよく抱っこしてやれる心の状態を保持していることです。
  もう一つ子育ての基本となることは、子どもが「自分は自分の力でやっていける、自分の好みや判断や考えを信じていいのだ、自分なりに人生を切り開いていけるのだ」という「自立(有能)感」を身につけることです。親の方は、自分の価値観を提示し変革しながら、適宜、「自立促進」的態度や行動をとる必要があります。子どもが親とは別の人格であり、親から離れていく存在であることを肯定する姿勢が取られる必要があります。
  これら子育ての三つの基本は、どんな子どもにとっても、求めれば大体は応じてもらえる事が望ましいと言えますが、育てる側にとって実行することは、現代の核家族化した家庭では、簡単そうにみえてなかなか難しいことと思います。母親一人に子育ての重責がかかり、しかも、「母親は子ども思いで常に温かく優しく」、「人に見られて恥ずかしくないように」という伝統的な常識に、今も世間の人の大部分が拘束されています。

基本を守ることができる時には、自分でやり、できない時には、人の助けを借りることが、核家族化した家庭では必要ではないでしょうか。母親の立場で言えば、「常に温かく優しい母親」という伝統的な常識から時に自由になり、母親自身が自分の人生を十分に生きるということも必要ではないかと思われます。それは専業主婦であっても同じことだと思います。できない時に無理をしても、結局子どもには良いものは伝わりません。むしろ、手助けを求めた方が、子どもにとって良いことが多いでしょう。近在する親戚、友人、クラブチームの監督、保育所、学校の先生、カウンセラー、子育て支援などから、手助けの性質に応じて選ぶことができるのではないでしょうか。



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